イギリスで観た多様な芸術と福祉


 2005年の11月初め、久し振りに海外への旅に出掛けた。今までは旅公演の仕事の関係で複数メンーや通訳メンバーの同行で出掛けていた。しかし今回は初めての一人旅であった。この旅で私はロンドンという街のイメージが変わった。
 帰国して1か月が過ぎようとする今も尚、感動と衝撃が激しく交錯している。寒さをも忘れさせ、楽しいひと時を過ごした私のイギリス演劇報告をさせていただきたい。これらは体験した事のほんの一部の報告である。
 しかしながら、イギリス演劇視察の旅がとてつもない魅力を秘めていたことは書き切れないほどである事をみなさんにご理解願いたい。
 さて、印象に残った幾つかに触れていこう。まず、ロンドンの街のイメージだ。
 そもそも今回の旅のきっかけは、二年前のエイブルアートや埼玉のきらり・ふじみでの、イギリスの聴覚障害芸術監督ジェニー・シーレイ女史のワークショップ。
 参加した時に「イギリスの空気を感じながら、いろいろ、話し合いに来たらいい」という、ジェニー女史の言葉を受けての旅立ち。
 しかしロンドンといえば最近は、テロ恐怖というイメージを持つ。
 確かにそれは事実だ。でもイギリス人は優しく語ってくれた。
 「目的意識や地図を持って歩くなら心配なく楽しんでください」と聞いて落ち着いた。
 なるほど、ロンドンの空気を大いに吸い込んで自分の体をロンドン街にゆだね、気をつけて行動するのだ。
 慣れすぎて、「危険ではない」と考えるほうがむしろ不思議なのだという気持ちになった。
 そしてやみくもに怯えずにいればいい。

 過ごし易そうに思えるイギリスの気候であるが、11 月の冬は日が短いうえに曇天が続き、暗くて長い冬に、気持ちが滅入るような感じ。
 せっかくの異国での視察体験をそんなことで終わらせてしまわないよう、前向きに頑張ってみた。
 イギリスの芝居。なんといってもギリシャ劇からイプセンやベゲット、チェーホフや外国作家の作品までをも優れた舞台になるようどこまでも作るイギリス芸術文化だから、せっかくここまで来られたのでまず演劇博物館に直行。

 次はダンス公演。英国で大活躍しておられるプロダンサー南村女史から招待券をもらったが、私はそのグループを前から知っていたわけでもないので特に期待もせず、開演ぎりぎりに飛び込んだのが、イギリスで大人気、話題のダンス「RAMBERT‐DANCE‐COMPANY」公演。
 客席は、南村女史の知り合いの演出家が用意してくれていた特別な席。
 客席に着いた途端、一瞬にしてRambert の22 人のダンサーは生き生きと革新的なダンスを展開する。
 その全体の流れ、意外な妙技は、有能なスポーツ分野の体操選手と間違える程レベルが高く、私はぞくぞくさせられ、あっという間にその世界に引きずり込まれてしまった。

 次に、障害者演劇への注目について触れたい。ダリル・ビートン氏の独り芝居「動いている瞬間」(ダリル・ビートン作・演出Moments inMotion By Daryl Beeton)を観た。
 ダリルは肢体障害の俳優であり、芸術的に高く評価されている。1 時間半ほどの芝居であったが、見飽きることなくたいへん面白かった。ダリルは肢体障害の俳優であるが、肢体不自由とは思えなかった。
 舞台には、いつもの自分の部屋、そこにはベッド。そして直径1 メートルのトランポリン、驚いたのはその二つのブランコ、一般の人が両手を高くあげないと握れない程の高さにバーがある。その高さで肢体不自由の俳優が握れるか、いささか疑問だった。
 さて、幕が開くと、脚の不自由な男と手話通訳の女が客席の後ろから現れ、客席から舞台まで楽しそうにお喋りしながら縦横無尽に歩き回る。
 日本のイッセイ尾形の舞台以上に台詞が多いので、イギリスのプロ手話通訳ジェニー女史がついていた。
 日本の手話通訳の場合は舞台袖に控えめにキチンと立つ。イギリスの演出は対極的。自然体であった。
 その手話を交えた二人の話は、結果的に、読み聞かせのような感じとなり、通訳は、役者と客席にいる聾者の距離感を調節し、それによって私たちの笑いを誘い出したので観易くなった。
 どんなストーリーか。ベッドの上で男は、背負ったリュッサックの中から取り出した、快感を得るための人形と行き交う、憧れの男5人を思い浮かべて。男は人形に対して本音をあらわにする。しだいに同性愛が明らかになってくる。
 次から次へと携帯電話のベルが鳴り、自分が憧れる男らがかけている、男は彼らを励ましながら、独りで音楽CD のスイッチを入れて踊る。
更に興奮し、男はカラフルな杖を使って吊り下がるブランコを思い切って両手で握り、不自由な足を地上から離して自由な足へと変化させ、滑稽な動きを始める。
笑顔を浮かべ、虚無的な目と力強い声が魅ダリル・ビートンの舞台力的だった。ブランコでくるくると身を翻し愉快な演技をしながら語る。憧れの男5人を思い慕う気持ちを客席に訴える。
 携帯電話を通じてやがて「不自由な脚を持つ自分の快感を得る術はなにか、男から男への愛とは何か」という共存関係を意識するようになる。
 そしてトランポリンを使って飛び上がってもう一つのブランコを掴む。さすがというか、目からうろこ、驚いた。
 演技や表情、テンポ、発声、肉体の動きが訓練の成果を見せていた。多くの観客があれだけ笑い転げたのだから、言うことなしの出来映えであった。
 終演後、劇場の中のBar で、賑やかな役者と観客の再会の乾杯があった。

 さて、次にフランク・バーンズ聾学校(Frank Barnes School/for Deaf children in London ロンドンの耳の聞こえない子供のための学校)への訪問である。交流後、パフォーマンス披露をした。
 幼稚部と小学部低・中・高学年に分けて、4 回のパフォーマンス披露を行った。








 反応は、「Lovely!!」「素晴らしい」の手話。伝わったのだ。
しばらくやまない拍手、私の周りに輪ができ、それが列になるところもある。
 ついつい時を忘れての語らいが続く。









 感動が抑えきれなくて話しかけてきたという聾のダニ先生もその一人で「国が違っても聾という仲間が出来る喜びは大きい。
 あなた方の生き生きとした熱い心は今私たちをふるいたたせている」と言ってくれた。嬉しかった。








 驚いたのは、教員の構成。聾の先生が 18 人、聞こえる先生も18 人なので半分ずついるということだ。聾の事務員2人、手話通訳専門員1人。充実したスタッフ構成だ。










 聾の先生のご好意で給食試食や授業、手話劇の稽古見学を見せてもらうことができた。学校の授業においても実践的なもので、魅力的であることを確信した。












 他にも、国際交流基金や日本大使館も紹介していただいたイギリスの劇団を見、たくさんの発見や驚きを吸収するのに労をいとわず
動いていたが私であったが、人形劇の公演には実際に触れられなかった。
 残念と思ったら、イギリス人形劇演出家Sue女史から庄崎とぜひ会いたいとの連絡が。
 Sueさんは笑顔で出迎えてくれ、おまけにこれまでに手掛けた舞台全作品DVDもプレゼントしてくれた。
 人形劇の演出術やシステムなど沢山お話を伺った。
 なかでも印象に残ったことを以下。
 「誤解を避けるため、最初におとこわりしておくが、私たちの舞台創造は一般にいう人形劇とは異なる。伝統的な人形劇パンチやマリオネットとも違う。人形劇は演劇の一種だが、私たちの劇団「theatre‐rites」(意味は「シアター儀式」だそうだ)はむしろドラマの一種といえる。人形劇は単にミニチュア劇であるという観念を壊して存在しないもの、つまり要らなくなった建物を一瞬にして創造物に変わって作り出す、芸術的な静的時間を目指している。ですから私は人形劇とは言わず[theatre‐rites・劇場儀式]と読んでいます」と。…既成概念にとらわれないという印象を受けた。Sue女史は柔和な面持ちの中にも確信を秘めて「私たちのドラマにことばは不要です」…と明解に答えてくれた。
 一緒に作品を作らないかと誘ってくれた。
 彼女のビジョンを聞いた上で、作品を見たらやはり舞台創造の水準が高く素晴らしかった。
 私にとって、実りの多い旅であったが、その成果をお見せすることはまだまだ先の事になるかもしれない。
 これから一つ一つの舞台やワークショップ作品で少しお見せすることが出来ればと思う。
 最後に宿泊手配や案内などでご協力頂いた南村千里女史(CandoCo Dance Company・プロダンサー),演出家ジェニー女史、アゴラ劇場吉野女史、在英美術アーティスト塩見女史、お世話になった方々、国際交流基金の竹川女史、在英国日本大使館シモンさん。
 今回の旅はこうした多くの方々の手に支えられ、実り多きものとなった。
 ここに書ききれなかったすべての方々に感謝したい。